【尊厳死宣言書について①】

皆さん、こんにちは。神奈川県 横浜市 南・港南支部所属 行政書士 近田知成です。

第13回目記事投稿となる今回のテーマは【尊厳死宣言書について①ご家族の共通理解】です。


日本社会の高齢化に伴い、自身の【最後の在り方】を熟考される方も多くなり【終活】といったキーワードも珍しいものでは無くなって来ました。その中の【意思表明文書】の一つとも採れる【尊厳死宣言書】は昨今、自らの【死生観】に関わる事項として、様々な媒体で語られている事も、皆様周知の事実だと思われます。


私自身の経験から申し上げましてこの【尊厳死宣言書】を作成しておく意味合い実に大きなものであると思います。

(下記の経験談については、少し【尊厳死】とは離れてしまうかもしれませんが、「大切な人が亡くなってしまう時」残された人間がどれだけ混乱してしまうかの経験談として記しておこうと思います。何故なら、本人の明確な意思が得られない場合、その混乱の中で「延命」に関わる大きな判断を迫られるのは残される【家族】である可能性が高いからです。)


2年前父が大病に倒れ,、この先どれだけの科学的治療を施しても、現在の医学では手の施しようがない状態であると分かり家族一同唖然としている中、後に担当の医師より「ご家族の判断として延命治療を望まれますか?」とのご質問を受ける事となり、酷く狼狽したのを今でも覚えています。

毎年の健康診断も欠かさず受け、健康そのものに見えた父が大病を患っただけでもショックだったのに、少しの期間も待たずして【延命】等というフレーズを聞かされる局面に立たされるとはつゆにも思わず、当時の私は正に混乱の極地にありました。

生活を共にし、常日頃より父とコミュニケーションを欠かすことなく、日常生活の中で彼の考え方や価値観を教わっていた私でさえ、実際病床の父に【延命措置をとらない】と判断するには相当の覚悟と心的負担があったのです。

もし、私自身遠方で生活をしていて父と疎遠な状態だった場合、このような決断を迫られ同じ判断出せていたかどうか?考えてみても答えは容易には出てきません

現実として、父が余命いくばくも無いときに【延命措置をとらない】という判断に大きく影響したのは、父に【これ以上苦しんで欲しくない】という思いと、父の【死生観を把握していた【共有時間の積み重ね】であったと今となっては思う次第です。


尊厳死宣言書】作成と一見すんなりと結びつかないとも思えるこの経験談ですが、わざわざ(ほんの少しですが)お話をさせて頂いたのには理由があります。

それは、【尊厳死宣言書】においては、大切な人が死の危機に瀕し苦悩するであろう、その【ご家族の思いをもひっくるめて作成プロセスに反映させていく事が重要であるから、ということです。

自分の死と向き合う【尊厳死宣言書】を作成する事は、一見【自分の亡くなり方に関する事なのだから全部自分一人で決める】という種のものに見えるかもしれません。

しかし、そこには【自身の本心の発露】【自己決定権】としての価値だけでなく(まずもってこの価値が1番大切でとても大きいのは言うまでもありませんが)、残されるご家族に対しても【延命】に関する判断を求められることにより発生する【心的負担を軽減するという意味での価値があるという事をも、一側面として考えるべきと私は思います。


尊厳死宣言書】が【自己決定権】としての価値だけでなく、【家族の思いをもくみ取る書面】としての価値を発揮するには、その残されるご家族の【共有意思の存在が不可欠となりますので、その作成プロセスにおいてもしっかりとひざを突き合わせてお話ししておくが寛容であると言えるでしょう。


ご家族が【尊厳死宣言書】を残される方の【死生観】を尊重し、かつ、作成する方は【残される家族を思いやる】・・・この両輪が動いて初めてその価値が十分生かされるのではないでしょうか。

次回は実際に【尊厳死宣言書】を作成する際の実務上の注意ポイント等について述べていきたいと思います。

関連URL:【尊厳死宣言書について②】 :【終活ノート記載事項①】

【終活ノート記載事項②】

 

 

 

 

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